0と1の戯言

『宇宙よりも遠い場所』呪いから解き放たれた女の子

やっぱり僕に根気というものは無かったみたい。一体いつぶりの更新だって思いと、放送終了から1ヶ月経とうというのに何を今更という気持ちはあるけど、『宇宙よりも遠い場所』のめぐっちゃんの話がしたい。

めぐっちゃん、高橋めぐみは主人公であるキマリの幼馴染だ。そして、お姉ちゃんのような存在でもある。しかし、『けいおん』の真鍋和や『まどマギ』の志筑仁美のように、物語の本筋に関わってくることはない。もっとも、仁美ちゃんはある転換点を作ったと記憶しているが。皆はこの2人のキャラにどういう印象を持っているだろう。脇役。モブ。とにかく主役級だと思っている人がいないことは間違いない。これはある種、幼馴染キャラにかけられた呪いだ。冒頭では主人公に最も近しい存在であったはずが、物語の起こす変化についていけず、画面の外に追いやられる。主人公との関わりは少なくなり、孤独になっていく。僕はいつもこの構造に孤独感や疎外感を見出し寂しくなる。更に言えば、このことを等の彼女たちは何とも思ってないように振る舞う。彼女たちは物語を無視して、自身の立場が最初から最後まで何も変わっていないように振る舞うのだ。視聴者の我々には明らかに主人公と疎遠になっていると映るのに。当たり前だ。彼女たちは画面の外では生きていないし、画面の中でエピソードが与えられる訳ではないのだから。

しかし、『宇宙よりも遠い場所』においてめぐっちゃんはこれらのキャラとは違う。主人公たちからの疎外感を感じるし、画面の外、映っていないところでも1人の人間として生きている。それがよくわかるのが、5話ラストと13話ラストだ。5話では、彼女は報瀬と出会い走り出したキマリに置いていかれる、キマリが遠く離れていってしまうと感じる。そうした疎外感の下でキマリの南極への旅を邪魔し始めるのだ。それでもめげずに頑張るキマリを見て、出発の朝にキマリに言う。

「絶交しにきた」「最初にお前が南極に行くって言った時、なんでこんなに腹が立つんだって思った。昔からのキマリが何かするときは私に絶対相談してたのにって。昨日キマリに言われて気づいた。くっついて歩いてるのはキマリじゃなくて私なんだって。キマリに頼られて相談されて呆れて、面倒見るようなふりして偉そうな態度とって。そうしてないと何もなかったんだよ、わたしには。自分に何もなかったからキマリにも何も持たせたくなかったんだ。ダメなのはキマリじゃない。私だ。ここじゃないところにむかわなきゃいけないのは私なんだよ」「馬鹿言うなよ、やっと一歩踏み出そうとしてるんだぞ。お前のいない世界に」

自身の弱さを自覚し、認め、今までどこか見下していた親友に謝罪する。彼女は心を持たない幼馴染キャラの呪いから解放され感情を持つ1人の人間として振る舞う。 彼女は僕が『けいおん』や『まどマギ』を見て感じた孤独感を代弁してくれたのだ。そしてキマリはめぐっちゃんからの絶交の申し込みを拒否する。これは僕の孤独感もめぐっちゃんの疎外感も、画面の外に追いやられてきた幼馴染を救済する言葉だ。彼女たちはモブなんかではない。物語に関われないからと、主人公との関係が希薄になる訳ではない。主人公の中には常に彼女たちがいて、いつでも、いつまでも親友なのだと。

 

更に、呪いから解き放たれた彼女は、機械のように幼馴染を演じ続けることをやめ、13話では北極にたどり着いている。キマリたちが南極へ旅をする画面の外側で誰も見ていなくとも、キマリにくっついて歩くのをやめてキマリから最も離れた場所で、彼女なりの青春、物語を歩んでいることを教えてくれる。彼女は画面の外でも生きていて彼女だけの、成長のエピソードがあるのだ。

彼女は僕たちに「主人公でなくとも物語は作れるし、それは結局一歩踏み出す勇気の問題」だと教えてくれる。南極への旅を題材にしながら、旅そのものではなく旅を通した成長を描いた『宇宙よりも遠い場所』においてめぐっちゃんは、メインの4人と同等かそれ以上にこの作品のテーマを表すキャラクターだと僕は思う。